子と共に育つパパくに記

環境づくりと後悔しない子育ての方法



こんにちは。PAPA KUNIです。

子供の健やかな成長に対し最も気を配りたいことの一つが環境づくりである。ひいては子供の人生の充実につながる重要なことだと思う。親のできることは、環境づくりに始まり、環境づくりに終わると言っても過言ではない。

子供が自ら育つ環境をつくる。子供が自ら自分の人生のための環境を作れるようになる環境を作る。言い方は難しい。

また、成長の段階や個人差によって詳細はそれぞれ異なるので一般的な表現しかできないところにもどかしさがある。常に新しいことが噴出し、考えると限りない部分でもあるので、目の前に出てくる課題を大小含めすべて一つ一つ丁寧に塗りつぶす様に対応していくことでしか解決できないことのような気がする。

そういうイメージから鑑み、結局、ケースバイケースで親自身が答えを考え、また、作り出さなくてはいけないということを考えると、いつの時代でも親ができる限られたことの世界での最先端の部分でもあると思う。




まずは、何をおいても心を大事にするということが根底にある。これは、一人一人の人と人という関係で向き合うということに似ている。そして、いつでも安心していられる環境を作るようにするということ。目標としては子供が自ら安心できるようになることだと思う。危ないことや痛いことを自ら気を付け近寄らないようにするということもここに含まれる。自分で安心して過ごす方法を身に付けることができれば子供が自ら成長するということに大きく寄与することと思う。そういう環境を作るために子供の小さい変化にもできる限り目と耳を傾けるようにしたいと思っている。

子供が自分で気づき、決断・判断できるようにするということは大変重要なことだと思う。親はいつでも子供がそうできる環境を作り、サポートをする。そのうちそういう環境を自らのものとし、サポートがなくとも自ら前に進むようになる。決して親のエゴを押し付けず、あくまでも子供が自ら選んだ道を進めるようにする。選択肢は選べるように親が増やすことは必要かもしれないが、あくまでも選ぶのは本人だ。環境づくりには、自分で選択肢を増やせるようにするということも含まれている。どれだけ選択肢の幅が広いかは心で感じる人生の豊かさにどこか比例するような気がする。親には時には努力と忍耐と辛抱が必要かもしれないが、これは親自身の成長に伴う苦しみのようなものであると思うので、そういう取るに足らない自己防衛の心にとらわれないようにしたいと常々思う。

生まれる前は、生活の環境も含めて母体の状況を整える必要もあるだろう。胎教もここに入るかもしれない。おなかの中にいる時から既に判断・決断は始まっていると考えるとわかりやすい。



生まれると生命維持から始まり多くのサポートが必要だ。ここにも基本的には何でも自分で決められるようにするということが含まれていると思う。一人の人として自分の意思を持つということにつながると思う。生まれたての赤ん坊でも、大げさに言うとおなかの中の胎児でも、親の問いかけに対する意思表示をしたいと思っていると感じるし、必ずそれなりにしているものだと思う。子供の小さな変化を見逃さなければ子供が意思を表示しているのを捉えることができる。そして、その部分が育つ助けをすることができるようになると思うし、そうしたいと思う。

一方、無駄に怖がらせたり、泣かせたりするとそういう意思表示に壁ができてくるような気がする。まずはなんだか可哀そうに思えてくる。その時には、本能的に警戒心が生まれるのかもしれないし、将来他人の顔色を伺って生きるような非常に可哀そうな人生を歩まなくてはいけなくなるかもしれない。また、警戒心を持たれた親ほど情けない親はないと思う。また、そうなってしまっているのにすら気づかない親には呆れるしかやれることはなく、そういう状態を知る第三者的な視点の尺度はないものかと、はかない希望を模索してしまう。そして、一度警戒心が強くなるとなかなかほぐれることはない。そういう状態が長引けば心の成長に影響することは間違いないと思う。安心して帰れる家がないのに似ている。そうなってしまったならば大変切ないことに心の中は空虚に違いない。

これと似た意味で、子供を恐怖で支配するようなことはいけないと思う。その関係では、一見、言うことをよく聞くいい子に見えるかもしれないが、そのうわべの姿の裏に心のすべてが隠れてしまう。自己肯定感をなくし、心のどこかでいつまでたっても自分に自信がないだろうし、想像力も欠けているだろう。ある部分で社会性も欠いてしまうかもしれない。誰の判断にもさらされない心と行動が表面化した時に問題を孕む可能性もある。自分の価値の確かめ方が分からなくなってしまうのかもしれない。他人から見て意思や信念がないと感じるような人間としての育ち方をしてしまうかもしれない。しかし、そういう状況でどんなになってしまっても本当の心の底はそうではないと思うので、こじらせてしまわないように初めから気を付けてあげたい部分だ。行動的には、感情で怒らないで優しく諭す、必要な時以外は大きな声で怒鳴らずにいつでも優しい声で、必要以上に泣かせない、無駄に怖がらせないというようなことだ。子供に対しそういうことをすると怒るよと言うような言葉で子供を従わせている場面を見るとそれは自分が楽をしたいためだけのために見えないナイフで子供を切り刻んで傷つけているようで、やり場のない口惜しさと虚しさを感じる。

簡単に考えると、必要なこと以外に自分自身が嫌だと思うことは子供にもやらせないでいいのではないかと思う。これは、親自身が自分と向き合わなくてはならない部分だ。話は少しずれるが似たようなことで、自分がやらないのに子供に押し付ける、自分はやっているのに子供にやらせないというような矛盾がないか今一度考えたい。子供はそういうことはよくわかっている。反面教師などど開き直るのは言語道断で自分の無能と無責任をさらけ出しているようなもので非常に卑劣な態度だ。考えるだけで何だか人として情けなく、そして、途方もなく切ない気持ちになる。この面では合理的で矛盾のないシンプルな行動に近づきたいと思う。

子供が成長してくると言葉や勉強、運動、生活など範囲が広がってくる。成長できる環境とはどういうものかをあらゆる面からよく考える必要があるだろう。心の成長の本質的な部分では、安心して気持ちよく物事に取り組める環境は大事だと思う。心が安心して成長するということには脳を含めた体の成長にも深く関係していると思う。

また、選択肢が多いことは人生の充実につながると思う。それを実現する根底には、子供が好きなことに好きなだけ取り組めるような環境にするということがあると思う。食べ物も遊びも勉強も生活も、そして、ひいては人生でも、言うなれば好きなことは何かを自分で探せる環境は心の成長に重要な役割を果たすと思う。ところで、最近の新しいところではIT環境は重要視しないといけなくなった新しい分野だと思う。

環境づくりは親の努力のし甲斐のあるところである。一見限りないようにも見える。親が自分自身の心と向き合うという面もある。努力や忍耐や辛抱をすることもあるだろうが、子供の将来の笑顔を考えると自分の一時の辛さへの感情は、この際どうでもいい自己愛の現れであり、それに気づけば大抵は耐え難いきつさではないと思う。それは、運動の疲労や筋肉痛に似ていて、自身の成長に伴うもののような気がする。

後悔しない子育ての方法への一つの問いかけ。自分がこれ以上できないところまでやったかどうか。これは一つの大きなヒントである。