子と共に育つパパくに記

親子の関係は特別だけど特殊ではない



こんにちは。PAPA KUNIです。

親子というのは、特別な関係であると思う。ただ、人と人の関係という意味では誰とでも同じで特殊な関係ではないとも思う。

電車の中で我を忘れた大声で子供を諭す母親がいた。あれはしないでね、これはダメって言ったでしょ、お母さんのいうことを聞かないと、お母さんはあなたのためを思って言っているのよ。云々。必死だ。わかる。小学校低学年と思しき男の子は、遠くを見る目で、しているかしていないか分からない生返事を時折放っている。

どうしてそうなってしまったのだろう。お母さんも何か理由があってそういう剣幕になっているに違いない。だけど、どうなんだろう。伝え方、心の持ち方。子供を一人の人として扱っているのかどうか。子供の心を大事にしているか。自分のエゴを押し付けていないかどうか。もっと優しい声で諭してあげるという選択肢はなかったのか。心と向き合うことも含め、自分のことをまずきちんとできているのだろうか。疑問が矢継ぎ早に頭によぎる。




もし、その子供が大人だったら、自分の先生だったら、友人だったら、上司だったら、世に出ている政治家や企業の社長だったら、そういう伝え方をしたのだろうか。例えば、辛抱強く、気を使いながら、感情的にならずに、丁寧に、関係を崩さないように、押しつけがましくならないように、独りよがりの考えにならないように、よく相手の話を聞いて、勘違いをしないように、悪い気分にならないように、悪い言葉を使わない言い回しで、喧嘩にならないように、などなど、、、、という途方もないようなことを念頭に置いて伝えるのではないだろうか。なぜか。人間関係のためではないだろうか。人と人として向かい合った時、赤の他人に対してでさえ、そういう心遣いをするのに、一番大事なわが子に対してはどうだったのか。どういう風にすることが人間関係を一番よくするということになるのだろうか。人の心を大切にするという観点で見た時に、子供の心を一番大切に扱うということをもう一度考えたい。

人生で決断と判断は重要な要素である。もちろん、子供も自分のことは自分で決めたい。その決断・判断の基準も子供が自分でわかるのが本当は良いのかもしれない。はじめは、好き、やだ、いる、いらない、やりたい、やりたくないというような単純なことから始まるだろう。そのうち、危険なことはいけない、人に迷惑をかけることはいけないというようなこともわかってくる。もちろん、自分を大事にするということも。いつか、親が自分のことを大事にしてくれているということもわかってくれると嬉しい。



小さいことから大きいことまで人生の経験の中で自分なりの決断・判断の尺度を持つようになると思う。一見遠回りに見えるかもしれないことだが、そういうことを自分のものにしていける”いい経験”ができる環境を親が用意していければ、子供はいい判断力や決断力を持つようになるのかもしれない。ここは、子供の心を育てる助けをするために、忍耐や辛抱もあり、はたまた自分の心とも向き合いと果てしない親の努力のし甲斐のあるところかもしれない。心では感じて、頭で分かってくるものだと思う。

人と人の関係では、相手の心を慮ったり、傷つけないように配慮したり、必要ならば時には強い言葉を使ったりすることもある。でも、感情に任せて大声で怒鳴ったり、相手の心を無視して自分のエゴを押し付けたりはなかなかしないと思う。しているならばそれは少し変なやり方だ。辛抱強く説得したり、時には静かに離れたりもする。そして、重要なこととして、どんな時でも無視をすることは相手の心を傷つけるということをつけ加えておく。

親子という特別な関係では、人間関係を壊さずに、そういうことを安全の中で学ぶことができる。親の姿勢が子供の社会性に影響するといえる部分があるかもしれない。親もまた、子と共に心を成長させていくことになると思う。

子供の心を壊さないようにしたいと節に願う。